翌朝。
小春は、昨日のことが頭から離れないまま会社へ向かった。
あの写真に写っていた男性。
そして、湊のあの表情。
「……何なの?」
小春は小さくつぶやいた。
会社に着くと、無意識に湊の姿を探してしまう自分に気づいた。
会いたい。
そう思ったことが、少し悔しかった。
「おはよう、小春さん」
突然、後ろから声がした。
「わっ……!」
振り返ると、湊が立っていた。
「驚きすぎ」
「だって……急に声かけるから」
「昨日から、俺のこと避けてる?」
「……避けてません」
「じゃあ、なんで目を合わせないの?」
小春は言葉に詰まった。
そんなこと、分かるわけがない。
湊の顔を見ると、胸が苦しくなるから。
「……湊さんが、変なこと言うからです」
「俺、何か言った?」
「私が嫌いになるって……」
湊の表情が少し曇った。
「……覚えてるんだ」
「忘れられませんよ」
しばらく沈黙が続いた。
そして湊は、周りに誰もいないことを確認するように辺りを見た。
「……小春」
呼び捨てにされた瞬間、小春の心臓が跳ねた。
「……はい」
「俺のことを、好きにならないで」
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
「……どうして?」
「理由は言えない」
「またそれですか?」
「うん」
湊は困ったように笑った。
「でも、一つだけ言える」
「何ですか?」
「君が俺を好きになったら……たぶん、俺も困る」
「……え?」
湊はそれ以上何も言わず、仕事へ戻っていった。
小春は、その場に立ち尽くした。
――俺も困る。
その言葉の意味を考えるだけで、顔が熱くなる。
*
仕事が終わったあと。
小春が駅へ向かっていると、後ろから湊が追いついてきた。
「小春」
「湊さん?」
「送る」
「大丈夫です」
「知ってる」
「じゃあ……」
湊は少しだけ笑った。
「俺が送りたい」
その一言に、小春は何も言えなくなった。
二人で並んで歩く。
会社を出て二人きりになると、湊はもう「小春さん」とは呼ばなかった。
それが、小春には妙に嬉しかった。
しばらく歩いたあと、湊が口を開いた。
「昨日の写真」
小春の足が止まった。
「……はい」
「まだ持ってる?」
「はい」
「見せて」
小春はバッグから写真を取り出した。
湊は写真を見た瞬間、目を伏せた。
「やっぱり……」
「知ってるんですか?」
「……知ってる」
「この人、誰なんですか?」
長い沈黙のあと。
湊は、静かに答えた。
「君のお父さんだよ」
小春は息をのんだ。
「……でも、父は私が小さい頃に亡くなったって」
「そう聞かされてるんだね」
「どういう意味ですか?」
湊は答えなかった。
ただ、写真の裏側を指差した。
「そこ、見て」
小春が写真を裏返す。
そこには、古いペンで小さく文字が書かれていた。
――小春へ。いつか、君に本当のことを話す。
「……これ、誰が書いたの?」
小春が顔を上げた瞬間。
湊のスマートフォンが鳴った。
画面を見た湊の顔から、血の気が引いていく。
「……どうしたんですか?」
湊は答えない。
小春のスマートフォンも、同時に震えた。
あの番号だった。
恐る恐る開く。
そこには――
『湊さんに聞いてはいけません。』
そして、その下にもう一通。
『だって、あなたのお父さんを死なせたのは――』
小春の指が止まった。
続きの一文を、読むことができなかった。
湊が、小春のスマートフォンを見つめていた。
そして、低い声で言った。
「……小春。それ以上、見ないで」
「……どうして?」
「俺が……全部話すから」
そう言った湊の目は、今まで見たことがないほど苦しそうだった。
――第5話「言えなかった約束」に続く。