第14話 最後の花

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住所を見つめたまま、美咲はしばらく動けなかった。

15年前。

あの雨の夜。

男が倒れていた場所。

そして――母が生きているかもしれない場所。

「……行くしかない」

美咲はコートを羽織り、家を出た。

車を走らせること約30分。

見覚えのない山道を進んでいく。

やがて、ナビが目的地を示した。

そこには、古びた一軒の家があった。

門の前には、何年も手入れされていないような庭。

けれど、その庭の片隅だけには――

白い花が咲いていた。

美咲はゆっくりと近づいた。

その花を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。

毎週届いていた花と、同じ種類だった。

「……ここだったんだ」

その時。

家の中から、物音がした。

美咲は玄関に立つ。

鍵はかかっていなかった。

「……誰か、いますか?」

返事はない。

恐る恐るドアを開ける。

薄暗い部屋の中。

壁には、たくさんの写真が貼られていた。

美咲は一枚ずつ見ていく。

幼い頃の自分。

学校の入学式。

母と写った写真。

沙織と笑っている写真。

そして――

15年前の写真。

その写真には、これまで見たことのない人物が写っていた。

若い頃の母。

沙織。

あの男。

そして、知らない女性。

その女性が抱いている赤ん坊。

美咲は写真を手に取った。

裏側には日付があった。

1988年10月24日。

自分の誕生日。

そして、その下に――

「今日、この子を預かった。」

と書かれていた。

「預かった……?」

美咲は息をのんだ。

その時、背後から声がした。

「やっぱり来たのね」

美咲が振り返る。

そこに立っていたのは――

沙織だった。

「沙織……?」

沙織は泣いていた。

「ごめんね、美咲」

「ここ……あなたの家なの?」

沙織は首を横に振った。

「違う」

「じゃあ、誰の家?」

沙織は少し迷ったあと、静かに答えた。

「あなたのお母さんの家」

美咲の心臓が跳ねた。

「……母が、ここにいるの?」

沙織は答えなかった。

代わりに、部屋の奥を指差した。

「自分で見て」

美咲はゆっくり歩いていく。

その先に、一枚の大きな鏡があった。

鏡の前に、白い花が一輪置かれている。

その花の横に、手紙があった。

美咲は震える手で開いた。

――美咲へ。

――ここまで来てくれて、ありがとう。

――あなたに毎週花を届けていたのは、私です。

美咲の目から涙が落ちた。

母だった。

花を送っていたのは、母だった。

――あなたが忘れてしまったことを、私はずっと覚えています。

――でも、直接会うことはできませんでした。

――なぜなら、あなたを守るために、私自身が「死んだこと」にならなければならなかったから。

美咲は唇を噛んだ。

「どうして……」

手紙には続きがあった。

――15年前、あなたが見たものは、すべて真実です。

――あの男は死んでいません。

――あなたのお父さんも、生きています。

――そして、あなたを育てた私も。

美咲は顔を上げた。

「じゃあ……あの夜、何があったの?」

沙織が静かに答えた。

「あなたのお父さんは、あの男を殺そうとしたんじゃない」

「……え?」

「逃がそうとしたの」

美咲は言葉を失った。

「じゃあ、どうして私は……」

「あなたが見た時には、全部終わった後だったの」

沙織は涙を拭った。

「あなたのお父さんは、あの男を連れて逃げた。でも、その男は途中で姿を消した」

「そして……?」

「その後、あなたのお母さんが全部を隠した」

美咲は写真を握りしめた。

「私の出生も?」

沙織はうなずいた。

「あなたを産んだ女性は、あなたを守るために姿を消した」

「誰なの?」

沙織は答えなかった。

ただ、写真の中の女性を指差した。

美咲は写真を見る。

そして――

息をのんだ。

そこに写っていた女性の顔。

美咲は、その顔を知っていた。

いや。

正確には――

何度も見ていた。

毎週、花を届けに来た人。

花屋で母のDVDを渡してくれた女性。

「……そんな……」

沙織が言った。

「あなたのお母さんは、ずっとあなたの近くにいたの」

美咲の目から涙がこぼれた。

あの花屋の女性。

あの優しい声。

あの時、何も知らないふりをしていた理由。

すべてがつながった。

そして最後に、沙織が一枚の紙を差し出した。

「これが、本当の最後」

そこには、母の文字でこう書かれていた。

「最後の花が届いたら、私を探してください。」

美咲は顔を上げた。

「最後の花……?」

その瞬間。

家の外から車の音が聞こえた。

沙織が窓の外を見る。

そして、顔色を変えた。

「……来た」

「誰が?」

沙織は答えない。

ただ、美咲の手を強く握った。

「美咲。何があっても、今度は逃げないで」

玄関のドアが開いた。

ゆっくりと足音が近づいてくる。

そして――

部屋の入口に、一人の女性が立った。

美咲は、その顔を見た。

「……お母さん?」

女性の目から、涙がこぼれた。

「美咲……」

母は、震える声で言った。

「やっと……会えたね」

その手には――

一輪の白い花が握られていた。

――15話へ続く。