翌朝。
小春は、昨日のメッセージを何度も読み返していた。
『その人に近づかないでください』
『湊さんを好きになってはいけません』
『あなたが彼を好きになるまで、あと3回です。』
いたずらなのかもしれない。
そう思おうとした。
けれど、気味が悪かった。
何より――
「どうして、私が湊さんを好きになることを知ってるの?」
小春はスマートフォンをバッグにしまった。
まだ好きじゃない。
絶対に。
そう自分に言い聞かせながら会社へ向かった。
「おはようございます」
「おはよう」
いつものように挨拶をして、自分の席へ向かう。
すると、机の上に小さな紙袋が置かれていた。
「……何これ?」
中を見ると、昨日借りたものと同じ折り畳み傘が入っていた。
そして、その上にメモ。
『昨日の傘、これで返したことにして。』
小春は思わず笑ってしまった。
「湊さん……?」
振り返る。
少し離れたところで、湊がパソコンを見ていた。
「これ、湊さんが?」
「うん」
「どうして?」
「小春さん、昨日の傘、返すって言ってたでしょ」
「はい」
「でも、俺が使う傘なくなるから」
「……え?」
「だから買ってきた」
小春は目を丸くした。
「わざわざ……?」
「駅のコンビニで」
「そういうこと……」
なんだ。
ちょっと期待した自分が恥ずかしい。
小春が俯くと、湊が小さく笑った。
「何?」
「いえ……」
「顔、赤いけど」
「赤くないです!」
思わず大きな声が出た。
近くにいた同僚が振り返る。
「小春ちゃん、朝から湊さんと何してるの?」
「何もしてません!」
湊は笑いながら自分の席へ戻っていった。
小春はその背中を見ながら、胸を押さえた。
――やっぱり、少し変だ。
昨日まで何とも思っていなかったのに。
その日の午後。
小春が資料をコピーしていると、突然プリンターが止まった。
「あれ……?」
何度やっても動かない。
困っていると、後ろから手が伸びてきた。
「紙、詰まってる」
「わっ……」
振り返ると、湊がすぐ後ろに立っていた。
近い。
思わず一歩下がる。
湊は何も気にせずプリンターを直している。
「はい」
「ありがとうございます」
「小春さんってさ」
「はい?」
「すぐ顔に出るよね」
「え?」
「困ってる時も、嬉しい時も」
湊が小春を見る。
「分かりやすい」
その目が優しくて――
小春は、何も言えなくなった。
「……そうですか?」
「うん」
湊は少し笑った。
「俺は、そういうところ好きだけど」
「……え?」
湊は何事もなかったように、その場を離れていった。
小春はその場に立ち尽くした。
今――
「好き」って言った?
いや。
きっと、そういう意味じゃない。
そう思おうとした。
でも、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
仕事が終わり、会社を出る。
今日は雨が降っていない。
小春は駅へ向かって歩き始めた。
すると、後ろから声がした。
「小春さん」
振り返る。
湊だった。
「駅まで一緒に行く?」
「……はい」
並んで歩く。
昨日より少しだけ近い距離。
何を話せばいいのか分からない。
そんな小春に、湊が突然言った。
「昨日のメッセージ」
小春の足が止まった。
「……え?」
湊は小春を見る。
「届いたでしょ?」
心臓が止まりそうになった。
「なんで……」
「俺のこと、好きになるなってやつ」
小春は何も言えない。
湊は少し困ったように笑った。
「ごめん」
「湊さんが送ったんですか?」
「違う」
「じゃあ、誰が?」
湊は答えなかった。
代わりに、小春の手からバッグを取った。
「持つよ」
「え、でも……」
「いいから」
そして、歩き出す。
小春はその横顔を見ながら尋ねた。
「湊さん」
「ん?」
「私……湊さんを好きになったら、何か困ることありますか?」
湊の足が止まった。
しばらく黙ったあと――
「ある」
小春の胸が締めつけられる。
「……どんな?」
湊は小春を見つめた。
「俺が困る」
「え……?」
湊はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、小春のバッグを持ったまま駅まで歩いた。
その夜。
また、知らない番号からメッセージが届いた。
今度は一言だけ。
『1回目。』
小春は画面を見つめた。
そして、その直後。
湊から初めてメッセージが届いた。
『明日、会社の前で待ってる。』
小春の胸が、また大きく鳴った。
でも――
そのメッセージの直後。
知らない番号から、もう一通。
『二人目の傘を受け取ったら、もう戻れません。』
小春は、昨日もらった傘を見つめた。
「……二人目?」
その言葉の意味を、まだ小春は知らなかった。
――第3話「二人目の傘」に続く。