玄関の向こうから聞こえた声に、美咲は息を止めた。
「……お父さん?」
返事はなかった。
もう一度、ドアを叩く音がした。
コン、コン。
美咲は震える手でドアノブに触れた。
開けてはいけない。
そう思った。
なのに、指は止まらなかった。
ゆっくりとドアを開ける。
そこに立っていたのは――
見覚えのない男だった。
白髪の混じった髪。
少し痩せた顔。
そして、雨に濡れた古いコート。
男は美咲を見ると、悲しそうに笑った。
「大きくなったな」
「……誰?」
男は答えなかった。
代わりに、一枚の写真を差し出した。
それは、あの写真だった。
15年前の写真。
美咲、沙織、あの男、そして夫。
ただし――
今まで見ていた写真とは違った。
写真の端に、もう一人の男が写っていた。
美咲は目を見開いた。
「……この人……」
その顔には、確かに見覚えがあった。
子どもの頃。
家にあったアルバムの中で、何度も見た顔。
けれど、父親ではない。
父親だと思っていた男とは、別人だった。
「あなたは……誰なの?」
男はしばらく黙っていた。
そして、低い声で言った。
「私は、お前の父親だ」
美咲の手から写真が落ちた。
「……嘘」
「今まで、お前が父親だと思っていた男は、お前を育てた人間だ」
「じゃあ……本当の父親は……」
「私だ」
頭の中が真っ白になった。
母。
父。
沙織。
夫。
死んだはずの男。
全部が一本の糸でつながっている。
そんな気がした。
「じゃあ、15年前……あなたは何をしていたの?」
男の表情が変わった。
「私は、あの男を逃がした」
「……え?」
「そして、お前の母親には、二度とお前に会わないと約束した」
「どうして?」
男は美咲を見つめた。
「お前を守るためだ」
その言葉を聞いた瞬間、美咲の胸がざわついた。
母も、沙織も、夫も。
みんな同じことを言っていた。
――守るためだった。
でも。
守るためなら、なぜ嘘をついたのか。
なぜ記憶を消したのか。
なぜ母は死んだことにされたのか。
「私の母は……あなたを知っていたの?」
「ああ」
「そして、あの男も?」
男は小さくうなずいた。
「全員、知っていた」
「じゃあ、あの夜……何があったの?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて男は言った。
「お前が知るべき時が来た」
そして、懐から一枚の封筒を取り出した。
封筒には、美咲の名前。
そして日付が書かれていた。
2011年11月3日。
DVDの日付と同じだった。
「これは、お前の母親が私に預けたものだ」
美咲が封筒を受け取る。
中には、一枚の紙だけが入っていた。
震える文字で、こう書かれていた。
――美咲へ。
――もし、この手紙をあなたが読んでいるなら、私はもう隠し続けることができなくなったということです。
美咲は震える指で、その先を追った。
そこには――
「あなたを産んだのは、沙織です。」
と書かれていた。
「……え?」
美咲の呼吸が止まる。
その瞬間。
背後からスマートフォンの着信音が鳴った。
画面には、登録していない番号。
恐る恐る出る。
「もしもし……?」
『美咲……』
聞こえてきたのは、沙織の声だった。
そして沙織は、泣きながら言った。
『ごめんね。もう全部、話す』
「沙織……?」
『今までずっと、あなたに言えなかった』
「どういうことなの?」
電話の向こうで、沙織が息を詰まらせる。
『私は……あなたにずっと嘘をついてた』
「何を……?」
しばらく沈黙が続いた。
そして――
『私が、あなたのお母さんなの』
美咲は言葉を失った。
その直後、電話の向こうで大きな物音がした。
「沙織?」
返事がない。
「沙織!?」
何度呼んでも、もう声は聞こえなかった。
ただ、切れた電話から微かなノイズだけが流れていた。
美咲はスマートフォンを握りしめたまま、動けなかった。
そして、ふと足元を見る。
さっき落とした写真。
その裏側に、今まで気づかなかった文字が書かれていた。
――「花が届いた理由を知れば、すべてが終わる。」
美咲は、その文字を見つめた。
毎週届いた花。
母の死。
消された記憶。
沙織。
そして――自分の出生。
すべては、あの花から始まった。
そして今、美咲は初めて思った。
もしかすると――
花は、誰かに真実を知らせるために届いていたのではない。
真実から美咲を遠ざけるために、届いていたのではないか。
第13話へ続く。