あの家には、誰も住んでいない|第3話 約束

執筆者:

カテゴリ:

「どうして、迎えに来なかったの?」

二階の窓に立つ女の子がそう言ったように見えた。

私はその場から動けなかった。

「……何?」

もう一度、女の子を見る。

けれど、窓には誰もいなかった。

カーテンだけが、風に揺れている。

私は自分に言い聞かせるように笑った。

「……見間違いだよ」

そう呟いて、家を離れた。

でも、歩き出してからも、あの言葉が頭から離れなかった。

――どうして、迎えに来なかったの?

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が痛んだ。

まるで、ずっと前から知っている言葉みたいだった。


家に戻ると、私は昔のアルバムをもう一度開いた。

莉奈。

写真の中の莉奈は、いつも私の隣にいる。

二人で笑っている。

ふざけている。

変な顔をしている。

今まで私は、それを当たり前だと思っていた。

私たちは小さい頃からずっと一緒だった。

家が近くて、同じ幼稚園に通い、小学校も中学校も同じ。

親同士も仲が良かった。

だから、私にとって莉奈は「友達」という言葉だけでは少し足りなかった。

姉妹みたいな存在。

……そう思っていた。

けれど、写真を見ているうちに、ひとつ気になることがあった。

莉奈の写真はたくさんある。

なのに、

中学に入ってからの写真が一枚もない。

私はアルバムをめくる。

小学校六年生までは、何枚もある。

卒業式。

最後の給食。

桜の木の下。

でも、中学生になってからは――

一枚もない。

「なんで……?」

私は記憶を探った。

中学に入ってからも、莉奈とは会っていたはずだ。

なのに、写真がない。

その理由が思い出せない。


その夜。

私は眠れずに、スマホの古い写真を探していた。

すると、削除した写真を保存しているフォルダに、見覚えのない画像があった。

撮影日は、

15年前の7月24日。

私は指を止めた。

開く。

そこには、子どもの私と莉奈が写っていた。

二人とも笑っている。

撮影場所は――

あの家の前。

私は写真を拡大した。

莉奈は、赤い髪留めをつけている。

そして私の手には、小さな青いキーホルダーが握られていた。

「これ……」

私は自分の記憶を探った。

このキーホルダーには見覚えがある。

小学校の頃、莉奈とお揃いで買ったものだ。

莉奈は赤。

私は青。

二人で、

「大人になっても持ってようね」

そう言っていた。

そこまでは覚えている。

でも、その次に莉奈が言った言葉が思い出せない。

私は写真を眺めながら呟いた。

「何を約束したんだっけ……」

その瞬間。

頭の奥で、誰かの声がした。

――三時。

私は目を閉じた。

すると、もう一つの言葉が浮かんだ。

――絶対に来てね。

私は目を開けた。

心臓が大きく鳴っている。

「……三時?」

7月24日。

3時。

あのメモに書かれていた時間。

そして、

「まってる」

という言葉。

私は急いで写真の撮影日時を確認した。

14時58分。

約束の時間まで、あと二分。

私は立ち上がった。

「じゃあ……私は、このあと何をしたの?」

その答えだけが、どうしても思い出せなかった。


翌朝。

私は母に電話した。

「お母さん」

『なに?』

「莉奈のこと、聞きたい」

母は黙った。

「私と莉奈って……最後の日、何か約束してた?」

『……どうして?』

「昨日、昔の写真を見つけたの」

しばらく沈黙。

そして母が言った。

『莉奈ちゃんは、あなたを待ってた』

「……え?」

『あの日、午後3時に会う約束をしてたでしょう』

私は息を止めた。

「私……行った?」

母は答えなかった。

「ねえ、お母さん。私、行ったの?」

長い沈黙のあと、

母は小さな声で言った。

『……あなたは、行かなかった』

胸が締め付けられた。

「なんで?」

『それは……』

母が言葉を濁す。

「私、何かあったの?」

『もう忘れなさい』

「無理だよ」

『忘れたほうがいいの』

母はそれだけ言って電話を切った。

私はスマホを見つめた。

そして、ふと気づいた。

昨日見つけた写真。

14時58分。

写真の中で、莉奈は笑っている。

約束の時間まで、あと二分。

私は写真をもう一度見た。

すると、今まで気づかなかったものが目に入った。

写真の奥。

玄関の脇にある小さな時計。

針は、

2時58分を指していた。

写真が撮られた時間と、時計の時間は一致している。

つまり、この写真が撮られた直後――

私は莉奈との約束のために、あの家を出たはずだった。

なのに、母は言った。

「あなたは、行かなかった」

では、私は14時58分から15時までの間に、

どこへ行ったのだろう。