私は、写真を何度も見返した。
14時58分。
写真の中の莉奈は、笑っている。
その二分後、午後3時。
私たちは会う約束をしていた。
そして、その直後に火事が起きた。
なのに私は、その二分間のことを何も覚えていない。
「……おかしい」
私はスマホを置いた。
母は、私が約束の場所へ行かなかったと言った。
でも、本当にそうだろうか。
私は写真を撮った。
少なくとも、14時58分にはあの家の近くにいた。
だったら――
私は3時までの二分間、どこにいた?
それだけじゃない。
写真を撮ったのが私なら、
なぜ私は、莉奈を撮ったのだろう。
約束の時間まで、あと二分。
普通なら、写真なんて撮っている場合じゃない。
なのに私は、わざわざカメラを向けている。
まるで――
何かを確かめるために。
私は昔のことを知っていそうな人を探すことにした。
最初に思いついたのは、当時近所に住んでいた佐伯さんだった。
今も同じ町に住んでいるらしい。
住所を母に聞いて、午後から訪ねてみた。
インターホンを押す。
しばらくして、年配の女性が出てきた。
「……あなた」
私の顔を見るなり、佐伯さんは目を見開いた。
「久しぶりです。私のこと、覚えてますか?」
「もちろん覚えてるわよ」
そう言って、佐伯さんは少しだけ笑った。
でも、その笑顔はすぐに消えた。
「大きくなったわね」
「莉奈のことを聞きたくて」
その名前を出した瞬間。
佐伯さんの表情が変わった。
「……まだ覚えてるの?」
「忘れるわけないですよ」
私は答えた。
「莉奈は私の親友だったから」
佐伯さんは何も言わなかった。
ただ、私の顔をじっと見ていた。
「何か、知ってますか?」
しばらくして、佐伯さんは小さく息を吐いた。
「あなたたち、本当に仲が良かったものね」
「はい」
「いつも二人一緒だった」
「そうです」
「でもね……」
佐伯さんは言葉を止めた。
「莉奈ちゃんが亡くなる少し前から、二人はよく喧嘩してたでしょう?」
私は固まった。
「……喧嘩?」
「覚えてない?」
首を横に振る。
佐伯さんは驚いたような顔をした。
「そう……」
そして、少し考えてから言った。
「最後の一週間くらい、莉奈ちゃんが毎日のようにあなたの家に来てたのよ」
「私の家に?」
「ええ。でも、あなたとは会わせてもらえなかったみたい」
「……誰に?」
佐伯さんは答えなかった。
代わりに、別のことを聞いた。
「あなた、あの日のこと覚えてる?」
「14時58分の写真までは……」
「写真?」
私はスマホを見せた。
佐伯さんは写真を見るなり、息を呑んだ。
「これ……」
「何か分かりますか?」
佐伯さんは写真の奥を指差した。
家の二階。
小さな窓。
「ここから、莉奈ちゃんがいつも手を振ってたの」
「私に?」
「そう」
佐伯さんは静かに答えた。
「あなたが帰るとき、いつもね」
私は写真を見つめた。
「……でも、この写真では莉奈が窓の前にいるんですよね」
「違うわ」
佐伯さんが言った。
「莉奈ちゃんは、その窓から外を見てたんじゃない」
「え?」
「いつも、あなたの部屋を見てたの」
私は言葉を失った。
私の家と莉奈の家は、向かい合っていた。
二階の窓同士が、ちょうど向き合う位置にあった。
「二人で窓を開けて、よく話してたわ」
そんな記憶はない。
でも――
突然、頭の奥が痛くなった。
開いた窓。
夕方の風。
莉奈の笑った顔。
そして、
『約束だからね』
という声。
私は額を押さえた。
「……何の約束?」
佐伯さんは答えなかった。
しばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「そういえば、あの日も……」
「何ですか?」
「莉奈ちゃん、あなたの家の窓をずっと見てたわ」
「……私の?」
「ええ」
佐伯さんは私の目を見る。
「三時になったら、あなたが来るって言ってたから」
心臓が跳ねた。
「莉奈が……そう言ったんですか?」
「ええ」
「どこへ行くって?」
佐伯さんは眉を寄せた。
「そこまでは聞いてないわ」
そこで一度、言葉を切る。
「ただね――」
佐伯さんの声が少し低くなった。
「三時になる少し前、莉奈ちゃんが何度もあなたの家の窓を見ていたのは覚えてる」
「……何度も?」
「まるで、誰かが来るのを待ってるみたいに」
私は黙り込んだ。
14時58分。
あと二分。
莉奈は、私が来るのを待っていた。
だったら、私はその二分間に何をしていた?
家に戻ってから、私は自分の部屋の窓を開けた。
向かい側を見る。
昔はそこに莉奈の家があった。
今は何もないはずなのに。
私は無意識に、窓の右側へ手を伸ばした。
そこに、小さな傷がある。
爪で引っ掻いたような跡。
私は眉をひそめた。
こんな傷、いつからあった?
指で触れる。
すると、また記憶が蘇った。
子どもの私。
窓に貼りつけた小さな紙。
赤い髪留めをつけた莉奈。
そして――
私が泣いている。
『お願いだから、言わないで』
莉奈がそう言っている。
私は息を止めた。
「……何を?」
その瞬間だった。
頭の中に、ほんの一瞬だけ別の光景が浮かんだ。
午後2時58分。
私は、この窓の前に立っている。
莉奈も向こうの窓にいる。
そして私は――
何かを握っている。
青いもの。
けれど、それが何なのか確認する前に、記憶は途切れた。
その夜。
私は母に電話をかけなかった。
代わりに、昔のアルバムをもう一度開いた。
そして気づいた。
中学に入ってから莉奈の写真が一枚もない理由。
写真がないんじゃない。
私と莉奈が一緒に写っている写真だけが、ない。
他の写真には、莉奈がいる。
クラス写真にも。
行事の写真にも。
なのに――
私と一緒に写った写真だけが、一枚も残っていない。
私はページをめくった。
小学校の頃には、何枚もある。
笑っている私。
隣にいる莉奈。
二人で持っている色違いのキーホルダー。
青と赤。
でも、中学に入った途端。
二人で写った写真だけが消えている。
まるで、
誰かが意図的に避けていたみたいに。
私はアルバムを閉じた。
その瞬間、スマホが震えた。
知らない番号からだった。
恐る恐る出る。
『……もしもし』
返事はない。
ただ、かすかな呼吸音だけが聞こえた。
「誰ですか?」
しばらくして、電話の向こうから女の声がした。
『あなた……まだ、莉奈を探してるの?』
私は息を呑んだ。
「あなたは誰?」
電話は切れた。
画面を見る。
着信履歴には、番号が表示されていない。
そして、その直後。
私は気づいた。
机の上に置いていたアルバムが、
開いたままになっている。
さっき私が閉じたはずのページ。
そこには、私と莉奈が一緒に写った写真が一枚だけあった。
でも、その写真には――
私が写っていなかった。