実家に帰るのは、七年ぶりだった。
別に、帰りたくなかったわけじゃない。
ただ、帰る理由がなかった。
両親は数年前に引っ越していて、今では誰も住んでいない。
それでも、母から「荷物を整理してきて」と頼まれて、私は久しぶりに昔住んでいた町へ向かった。
駅を降りると、記憶の中より道が狭く感じた。
コンビニがなくなっている。
昔あった文房具屋もない。
代わりに、見覚えのない新しい家がいくつも建っていた。
「そりゃ、七年も経てば変わるか」
独り言を呟きながら、私は昔の通学路を歩いた。
角を曲がったところで、足が止まった。
見覚えのある家があった。
白い外壁。
濃い茶色の屋根。
玄関脇に植えられた、大きな金木犀。
――莉奈の家だ。
そう思った。
小学生の頃、毎日のように遊びに行った家。
学校が終わると、私はランドセルを玄関に放り投げて、莉奈の家へ走った。
二人でゲームをしたり、漫画を読んだり。
夏休みには庭で水風船を投げ合って、二人とも母親に怒られた。
そんなことを、急に思い出した。
懐かしくなって、私は家を眺めた。
すると、玄関から女の子が出てきた。
私と同じくらいの年齢に見える。
髪を後ろで一つにまとめて、自転車にまたがった。
「……あれ?」
なぜか、胸の奥がざわついた。
その子が振り返った。
一瞬だけ、目が合う。
そして、そのまま走り去っていった。
私はしばらく動けなかった。
どうしてだろう。
初めて見たはずなのに。
どこかで会ったことがあるような気がした。
実家に着いて、荷物を整理していると、古いアルバムが出てきた。
懐かしくなってページをめくる。
小学校の卒業式。
運動会。
夏祭り。
そして――
莉奈。
写真の中の私は笑っていた。
隣には莉奈がいる。
二人ともまだ子どもで、歯の抜けた笑顔が妙におかしい。
私は写真を指でなぞった。
「……莉奈」
口に出した瞬間、胸が少し苦しくなった。
莉奈は、もういない。
十五年前。
あの家で火事があった。
莉奈は、その火事で亡くなった。
私はそのことを、ずっと覚えている。
……覚えているはずだった。
アルバムを閉じようとしたとき、一枚の写真が床に落ちた。
拾い上げる。
写真の裏には、子どもの字で日付が書かれていた。
7月24日。
そして、その下に小さく、
「りなちゃんのいえ」
と書いてある。
私は写真を裏返した。
そこに写っているのは、莉奈の家だった。
でも、何かがおかしい。
私は写真をじっと見つめた。
玄関。
窓。
庭。
何度見ても、どこがおかしいのか分からない。
ただ――
写真の中の家には、
金木犀がなかった。
その夜。
私は布団に入ってからも、昼間見た家のことを考えていた。
あの家には、今も誰かが住んでいる。
それは別に不思議じゃない。
莉奈が亡くなったあと、家を売ったのかもしれない。
別の人が住んでいてもおかしくない。
そう思いながら目を閉じた。
すると、昼間見た女の子の顔が浮かんだ。
――どこかで見た。
でも、どこで?
私は眠る直前、ふと思った。
あの家の玄関。
昔と同じだった。
茶色のドア。
右側の小さな窓。
その横に、金木犀。
なのに、写真には金木犀がない。
「……いつ植えたんだろう」
そう呟いてから、私は眠った。
翌朝。
母から電話がかかってきた。
『昨日、実家どうだった?』
「うん。だいぶ片付いたよ」
『そう。じゃあ、あとは好きなときに処分していいから』
「ねえ、お母さん」
『なに?』
私は少し迷ってから聞いた。
「莉奈の家って……まだあるんだね」
電話の向こうが、急に静かになった。
「お母さん?」
『……莉奈の家?』
「うん。昔の家。昨日、前を通ったら――」
母は、しばらく何も言わなかった。
そして、低い声で言った。
『……あの家、もうないよ』
私は笑った。
「いや、あるよ。昨日見たもん」
『違う』
母の声が震えていた。
『莉奈ちゃんの家は――十五年前の火事で、全部なくなったでしょう?』
私は何も言えなかった。
昨日、確かに見た。
白い外壁。
濃い茶色の屋根。
玄関脇の金木犀。
そして――
その家から出てきた、あの女の子。
私はスマホを握ったまま、もう一度だけ聞いた。
「……じゃあ、昨日私が見た家は何?」
母は答えなかった。
ただ、しばらくして小さく言った。
『そこには、家なんて建ってないよ』
その言葉を聞いた瞬間。
私は昨日撮った写真を思い出した。
帰り道、なんとなく撮った一枚。
私は急いでスマホの写真フォルダを開いた。
昨日の町並み。
駅。
昔の通学路。
そして――
あの家。
私は写真を拡大した。
白い外壁。
濃い茶色の屋根。
玄関脇の金木犀。
その二階の窓に、
女の子が立っていた。