倉庫の扉が、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは――
神谷だった。
小春は息をのんだ。
写真の中にいた男。
父親と話していた男。
そして、あの事故の夜にいた男。
「……神谷さん」
小春が名前を呼ぶと、神谷は少しだけ笑った。
「覚えていたか」
「どうして……ここに?」
神谷は小春ではなく、湊を見た。
「それは、こっちが聞きたい」
湊が一歩前に出る。
「小春には関係ない」
「まだそんなことを言うのか」
神谷の声が低くなる。
「お前は昔から何も変わらないな」
「……何?」
「守るふりをして、全部一人で抱え込む」
小春は二人を見つめた。
「教えてください」
二人が小春を見る。
「お父さんが亡くなった夜、何があったんですか?」
長い沈黙。
やがて、神谷が口を開いた。
「事故だった」
小春は目を見開いた。
「……事故?」
「そうだ」
神谷は続けた。
「お前の父親を殺したのは、俺じゃない」
「じゃあ……」
「俺は、あの夜、お前の父親を助けようとしていた」
小春は言葉を失った。
神谷は静かに話し始めた。
あの日。
小春の父親は、ある秘密を守るために神谷と会っていた。
その秘密とは――
小春の母親が残したものだった。
それを巡って、複数の人間が動いていた。
父親は小春を巻き込まないため、すべてを隠そうとしていた。
そして事故の直前。
父親は神谷に、こう言った。
『小春を頼む』
神谷が首を横に振る。
「俺は、お前の父親との約束を守ろうとした」
「じゃあ、どうして湊さんが……」
「湊の父親から、別の命令が出たんだ」
小春は湊を見る。
湊は黙っていた。
「小春を遠ざけろ」
神谷が言った。
「それが、湊に与えられた約束だった」
「……だから、湊さんは私を避けてた?」
「そうだ」
小春は湊を見る。
「じゃあ……全部、私を守るためだったの?」
湊はゆっくりとうなずいた。
「でも、一つだけ嘘をついた」
「……何?」
「俺が君を好きになったのは、約束を破ったからじゃない」
小春が息を止める。
湊は小春を見つめた。
「約束を守ろうとしても、好きになってしまった」
その言葉に、小春の目から涙がこぼれた。
「……ずるい」
「うん」
「そんなこと言われたら……」
小春は涙を拭った。
「もっと好きになる」
湊が小さく笑う。
「俺も」
神谷は二人を見て、静かに背を向けた。
「もう俺の役目は終わった」
「神谷さん」
小春が呼び止める。
神谷は振り返らずに言った。
「お前の父親は、最後までお前のことを心配していた」
そして、ポケットから一枚の紙を取り出した。
「これを渡しておく」
小春が受け取る。
そこには、父親の字で短い文章が書かれていた。
――小春へ。
――もし、この手紙を読む日が来たら、もう誰にも遠慮しなくていい。
――自分の好きな人を、自分で選びなさい。
小春の涙が止まらなくなった。
「……お父さん」
湊が小春の隣に立つ。
「小春」
「はい」
「もう、俺から離れなくていい」
小春は湊を見る。
「……約束ですか?」
湊は少し笑った。
「約束」
「今度は、破らない?」
「絶対に」
小春は笑った。
そして、自分から湊の手を握った。
「じゃあ……私も約束します」
「何を?」
小春は少し照れながら言った。
「もう、湊さんのことを好きなのを隠しません」
湊は小春の手を握り返した。
二人の間に、もう秘密はなかった。
あの日から長い時間をかけて、ようやく二人は同じ場所に立った。
そして――
小春は、父親からの手紙をもう一度開いた。
最後に書かれていた一行。
そこには、こう記されていた。
『大切な人を守ることと、大切な人のそばにいることは、きっと同じなんだ。』
小春は、その一行を指でなぞった。
そして、湊の手をもう一度強く握った。
――もう、離さない。
「最後の一行」
それは、物語を終わらせるための言葉じゃない。
これから始まる二人の物語の、最初の一行だった。