小春は、しばらく封筒を開けることができなかった。
『小春へ。これを読んだら、俺のことを忘れてください。』
湊の字。
何度見ても、間違いない。
「……なんで?」
胸の奥が、じわりと痛くなった。
忘れてください。
そんな簡単に言わないでほしい。
まだ、何も分かっていないのに。
小春は震える指で封筒を開けた。
中には、一枚の便箋と、古い写真が入っていた。
写真には、幼い小春と若い湊。
そして、小春の父親。
三人が笑っている。
その裏には、短い言葉が書かれていた。
――あの日の約束を、俺は一度も忘れたことがない。
小春は便箋を開いた。
そこには、湊の文字でこう書かれていた。
小春へ。
これを読んでいる頃には、俺は君のそばにいないと思う。
君に会ったことを、ずっと後悔していた。
でも、本当は違う。
君に会えたことを、ずっと大切に思っていた。
だからこそ、これ以上近づいてはいけない。
君のお父さんとの約束を守るために。
小春の目に涙が浮かんだ。
「……そんなの、分からないよ」
便箋を握りしめる。
どうして。
どうして、好きになるなと言いながら、こんなことを書くの。
そのときだった。
写真の裏側に、もう一つ文字があることに気づいた。
さっきまで気づかなかった。
小春は写真を裏返した。
そこには――
『約束の日が来たら、小春にすべてを話す。』
そして、その下に日付が書かれていた。
――9月20日。
「……9月20日?」
小春はカレンダーを見る。
今日は9月18日。
あと二日。
*
翌朝。
小春は会社へ向かった。
湊の姿はなかった。
机も空いている。
「……本当に、いない」
胸が締めつけられた。
仕事をしていても、何をしていても、湊のことばかり考えてしまう。
傘を貸してくれたこと。
手を握られたこと。
「小春」と呼ばれたこと。
そして――
「俺も困る」と言ったときの、あの顔。
忘れられるわけがない。
昼休み。
小春は一人で屋上へ向かった。
そこには、朝の男性社員がいた。
「……小春さん」
「湊さんは、どこですか?」
「知らない」
「嘘ですよね?」
男性は黙った。
小春は写真を取り出した。
「9月20日って、何の日なんですか?」
男性の顔色が変わった。
「……誰から聞いた?」
「湊さんの手紙に書いてありました」
男性はしばらく黙ったあと、静かに口を開いた。
「その日、小春さんのお父さんが亡くなった日だ」
小春の呼吸が止まった。
「……え?」
「でも、それだけじゃない」
男性は小春を見つめた。
「湊さんが、君に会わなくなった日でもある」
「……どういうこと?」
「湊さんは、あの日からずっと君を守るって決めたんだ」
「どうして……?」
男性は答えなかった。
その代わり、小春に一枚の紙を差し出した。
「これを読めば分かる」
小春が受け取った紙には――
小春の父親が最後に残した言葉が書かれていた。
小春は、一行目を読んだ。
そして――
その場から動けなくなった。
『湊へ。小春を守るためなら、君が小春に嫌われても構わない。』
――第9話「父が残した約束」に続く。