「DVDです」
電話の向こうの女性は、そう言った。
「15年前のホームビデオを、DVDにダビングしたものです」
私は一瞬、言葉が出なかった。
「……15年前の?」
「はい。お母さまから預かっていました」
その日の午後、私は指定された花屋へ向かった。
古い小さな店だった。
店に入ると、年配の女性が私を見るなり、驚いたように目を見開いた。
「……あなた、美咲さん?」
「はい」
女性はしばらく私の顔を見つめていた。
「お母さまに、本当によく似てる」
その言葉に胸が詰まった。
母は10年前に亡くなっている。
もう、声さえ思い出せなくなりそうなほど時間が経っていた。
女性は店の奥から、小さなケースを持ってきた。
中には一枚のDVDが入っていた。
ラベルには、母の字で、
『美咲 20歳の頃』
と書かれていた。
私はDVDを手に取った。
「母は、いつこれを?」
「15年前です」
「どうして、あなたが?」
女性は少し困ったように笑った。
「あなたのお母さまは、時々ここに来ていたの」
「この花屋に?」
「ええ」
女性は一度、言葉を止めた。
「最後に来たとき、『いつか娘がこれを受け取りに来るから、そのときに渡してほしい』って」
私はDVDを見つめた。
「母は……いつか私が来ると思ってたんですか?」
女性は首を横に振った。
「来るとは言っていなかったわ」
「じゃあ……?」
女性は小さな声で言った。
「思い出したときに来るって」
背筋が寒くなった。
私はDVDを持って帰った。
その夜。
夫には何も言わなかった。
沙織にも連絡しなかった。
一人で見ることにした。
テレビにDVDを入れる。
再生ボタンを押す。
しばらくして、画面に映像が映った。
庭。
まだ若い母。
そして、20歳くらいの私。
「美咲、こっち向いて」
母の声。
私は画面の中で笑っている。
「嫌だよ、お母さん」
「いいから。記念なんだから」
何気ないホームビデオ。
昔の家。
父の声。
食卓。
私の誕生日。
どれも懐かしい。
私は少しだけ笑った。
ところが――
突然、画面が暗くなった。
映像が切り替わる。
日付は、
2011年11月3日。
私は息を止めた。
第4話で見た写真と同じ日付だった。
画面には、見覚えのない部屋が映っている。
カメラは固定されていた。
誰かが、わざと撮影している。
しばらくすると、母が画面の前に座った。
私は驚いた。
母はカメラを見つめていた。
そして、ゆっくり話し始めた。
「この映像を美咲が見ているなら……」
母はそこで言葉を止めた。
「私はもう、美咲のそばにはいないと思います」
私は息を呑んだ。
母が亡くなる10年前。
まだ元気だったはずの母が、なぜこんな映像を?
「美咲には、絶対に言わないでください」
母は誰かに向かって話していた。
「この子は何も知らなくていい」
しばらく沈黙。
そして母は言った。
「でも、もしあの子が自分から真実を探し始めたら……」
母の目に涙が浮かんだ。
「そのときは、止めないでください」
私は画面に近づいた。
母の声が震える。
「ただし、一つだけ約束してください」
母はカメラをまっすぐ見た。
「夫を信用してはいけない。」
私は息を止めた。
夫。
どうして母が、今の夫のことを知っている?
映像の中の母は続けた。
「あなたのお父さんも、彼も、沙織も……」
そこで母は言葉を止めた。
「みんな、あなたを守ろうとしている」
「でも、その方法が間違っている」
私は画面を見つめた。
そして母が最後に言った。
「美咲が一番知りたいのは、きっと――」
その瞬間。
映像が乱れた。
画面が真っ黒になる。
私はリモコンを操作した。
でも、再生が進まない。
「……何で?」
DVDを確認する。
傷はない。
もう一度再生する。
すると――
さっきとは違う映像が始まった。
暗い部屋。
雨の音。
そして、若い頃の私が映っていた。
私は椅子に座っている。
泣いている。
目の前には、あの男。
そして沙織。
さらに――
夫。
私は言葉を失った。
15年前。
私たちは4人で一緒にいた。
そして画面の中の私が叫んだ。
「もう嫌!」
男が私の腕をつかむ。
「美咲、落ち着け!」
「父に知られたら全部終わる!」
沙織が泣きながら言う。
「でも、もう遅いよ……」
そして夫が言った。
「俺が何とかする」
画面の中の私が、夫を見た。
「あなたなら……私を助けてくれる?」
夫は頷いた。
「絶対に」
そこで映像が止まった。
私は呆然とした。
15年前。
私は夫と知り合っていた。
しかも――
今の夫を、私は知っていた。
「……嘘」
私は頭を抱えた。
結婚する前どころか、もっとずっと前から。
私たちは出会っていた。
でも、私は覚えていない。
そのとき。
テレビ画面が突然、真っ黒になった。
そして中央に白い文字が浮かび上がった。
『ここから先は、見ないでください。』
私はリモコンを握った。
停止ボタンを押そうとした。
でも、その前に映像が再生された。
今度は――
現在の映像だった。
私の家。
今日の夜。
私が一人でDVDを見ている姿。
そして、私の後ろに誰かが立っている。
私はゆっくり振り返った。
もちろん、誰もいない。
テレビ画面を見る。
そこには、もう一人の私が映っていた。
その後ろに立っている人物。
私はその顔を見て、息を呑んだ。
15年前に死んだはずの、あの男。
彼は画面の中で、私に向かって何かを話している。
音声はない。
でも、口の動きだけは分かった。
彼は、
「お前の母親は、俺が殺した」
と言っていた。
私はテレビの前から動けなくなった。
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
一度。
二度。
三度。
私は恐る恐る玄関へ向かった。
のぞき穴を覗く。
誰もいない。
でも、ドアの前に白い花束が置かれていた。
その花束には、いつものカードが一枚。
私は震える手で開いた。
そこには――
「次は、あなたのお母さんの番です。」
と書かれていた。
母は10年前に死んでいる。
なのに、なぜ――
「次は」と書いたのだろう。
第9話へ続く。